現代片桐学概論・前期レポート




#2 「ラーメンズ」の表記と意味をめぐる論争



「片桐」の本質を見据えるための一つの手段として、さらに21世紀の知的枠組みとしての片桐学を展望するにあたって、現在世界的に注目されている片桐総合研究機関「ラーメンズ」の名称、およびその提唱者である小林賢太郎氏の研究成果に対する考察は、避けては通れないと思われる。

「ラーメンズ」という名称について考えるとき、まず最初に浮かぶ疑問は、表記をめぐる謎である。「何故、小林賢太郎氏は国際的レベルにある研究機関にカタカナ表記を選んだのか」。ちなみに、外国向けの出版物における公式の表記も「KATAGIRI Universal Institute ・ラーメンズ」と、アルファベット・カタカナ混合体であり、「ラーメンズ」は一つの記号・シンボル的役割も果たしている。

カタカナへのこだわり、また語尾に附された「ズ」について、小林賢太郎氏は黙して語らずだが、私は、この表記の形式に片桐学の基本理念にのっとった賢太郎氏独自の思想を二つの点で見いだすことが可能であると考える。

第一に、本来、日本における「外来語」を表す際に使われるカタカナ表記は、その単語が何語に由来するものであるかを意識的に隠蔽する性質があることは否めない。しかし、それは反面、各自による自由な考察の余地を残す長所でもある。
第二に、「ズ」を加えることによって、桐林博士の成果を踏まえつつ、混迷する現代における片桐学のさらなる発展の方向性を、独自の思想として、暗に示唆することが出来る。

現在、学会内で最も有力なのは、【拉麺・老麺】に由来するとみる中国語経由の日本語説であり、おもに東経120度以西に広く分布する。この説を支持する学者の主な根拠は、「ラーメンズ」の由来である桐林博士の英訳論文タイトルにおいて、「ラーメン」が「RA-MEN」と、音声的にも視覚的にも日本語の表記をそのまま移すローマ字+記号(-)で表記されていることにある。
この表記が桐林博士ではなく、氏の友人であるDevid. H. Smith氏の翻訳であることを見過ごしたまま、多くの研究者たちはそこから、博士の「日本語」ないしは「日本に根付いた文化」へのこだわりを指摘し、同時にそれを忠実に守り続ける小林賢太郎氏の姿勢が推測されると主張している。

たしかに、【拉麺・老麺】は、外国から入り込んだ文化の中で、カレーと並び、もっとも日本に根を下ろした食べ物であるといってよい。片桐学が日本における土着性、日本人の精神性と強く結びついた学問であり、人間のもっとも奥深い無意識から発せられるある種の「欲望」(日本人のラーメンに対する一種理解不能なまでの、食欲を越えた欲望、もしくは「暗い情熱」*3)と関係が深いと指摘する声にも、確かに一理ある。

しかし、わたくしはこの説を唯一の由来にすることについては懐疑的である。なぜなら、あまりにも日本独自の精神性、文化性に依拠しすぎる傾向があり、世界に通じ、未来に通じる片桐学本来の普遍性、自由性が失われてしまうからである。
さらに次の時代を視野に入れて研究活動を展開する小林賢太郎氏にとって、先人の研究を取り込みつつも絶えず乗り越えていこうとする姿勢は、先代の忠実な模倣にとどまることを許さないであろう。また、「片桐」の本質を端的に【拉麺・老麺】に求めるには、あまりに片桐学の枠が大きすぎるのも、私がこの説を承認し得ない理由である。

ここで、私が今回提起したいのは、ドイツ語的見地からの検討である。
その根拠として、片桐学創始者である桐林仁博士がドイツ留学中に作成した研究ノート、「ハイデルベルク第4集」、P.57の断片を挙げることにする。







*3 『美味しんぼ』第38巻 作.雁屋哲 画.花咲アキラ 小学館
 「ラーメン戦争<9>」p.188参照。

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