――― その快感の"h" ―――Side-B  (2000.1.30 AM.6:43)


思う存分笑ったのに、なぜか妙な気分だ。そこはかとなく艶めかしくて、どきどきして、ついでにウットリしてる・・。会場を後にしながらふと思った。ラーメンズの単独に私は「エロス」を感じてるのだと。内容ではなく、その完成されたスタイルに。

エロスについての私の定義は、一般的ではないかもしれない。
「これ以上足し引きできないギリギリのライン、誘惑の磁場」。
数学や科学の公式のように、一行に凝縮されたフォルムの美、
想像をかき立てる曖昧な抽象性。
「いやらしさ」ではなく、削ぎ落とされたもののウツクシサ。
それは俗に言う「エッチ」ではなく、ラーメンズをめぐる"h"の存在に似ている。

何を(What)どのように(How)表すか、それを常に意識するのが表現者であるならば、ラーメンズの特徴は、極限まで削ぎ落とされた明確なフォルムのHow(照明・衣装・台詞・身振り・幕間・個々のコント・全体構成)と、曖昧でふくよかなWhat(感覚・情感・テーマ・世界観)。それが彼らの方法論「RAHMEN CONSTRUCTION」なのだろう。
「枠」は見せてくれるが、「核」までは決して語らない。「いつ(When)」「どこで(Where)」「誰が(Who)」という基本的な設定すら、コントの流れの中にある。

彼らの醍醐味を知るには、見ただけ聞いただけで過剰に反応するような、反射神経だけの熱暴走では不十分だ。ラーメンズの本業である単独公演の観客は、十分そのことを承知している成熟した大人。仮に、知らずに足を踏み入れた者にも、板の上に二人が現れた瞬間、会場の空気がそれを教えてくれる。

ラーメンズのコントは、ただの受け身では観られない。曖昧なモノクロで描かれた枠のように、観る者が色を付け、中にストーリーを描き込み、膨らませる「遊び」の余地が多いのだと。観客は、彼らの枠的な見せ方(How)ゆえに、なぜ(Why)を探る想像力を挑発されている。「説明不足」は、まるで「誘惑の磁場」だ。誘われるままに身を投げて味わえば、「快感」の世界はどこまでも自由で奥が深い。

「home」のh、疑問詞のh 、Rahmensのh。時に発音され、省略され、前の母音をのばす記号ともなる変幻自在の「」は、観客の想像力を誘う「間」であり、そこには彼らがこだわる「説明不足の快感」が凝縮されていないだろうか。
仕掛ける小林賢太郎は、HintのHを投げかけて観る者を煙に巻く。自分はサインに潜ませた"h"のように、目の前の相手に合わせた役を演じつつ(自分の音ではなく、前の母音をのばして合わせるh)、地声を出さず素を見せず、仮面の裏で笑っている。

幾つもの"h"が惹かれあい、すれ違い、絡み合って彩り形作る一夜の夢幻。
たとえ煙のように跡形なく消え去っても、その快感は心と頭と身体に刻まれて、きっと忘れられない。

新宿シアターサンモール。全4公演、観客動員数、1500。

誰もが舞台上の鮮やかなHowに魅了され、その奥に潜むWhatを求めてじらされ、誘い出されたWhyと説明不足の快感に身をゆだねながら、気づけば"h"を漏らしている。笑い声と感嘆にはが伴うもの。「意味の言葉」以前の、「息」の言葉。
それは、フライヤーが予言したもう一つの”The box filled with laugh.”人それぞれの「ハ行」がサンモールに充満した3日間・・・ 知らずのうちに観客は、Ra"h"mensが幾重にも仕掛けたトリックと、その快感の"h"に酔いしれた。



written by Yoh Kuroi



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